2013年12月1日日曜日

フィルス見てきた

トレインスポッティングではレントンがみんなを出し抜いてクズな世界から抜け出していったけどこの映画は残された人の話
話の導入の部分は悪徳警官のクライムコメディで入っていくけど、そのコメディの部分で他人の欠点をあげつらったりする そこの部分はかなりステレオタイプな偏見を持って他人を見ていてなかなか笑える
そういうところでやり手の警官なんだぜ的なところをブイブイと見せつけておいてだんだんとこの作品の深みにはまってくる
導入で他人の欠点をあげつらっているのは自分の欠点を知っているからその弱点を見抜くことが出来るとも言える この映画の場合には主人公のブルースが自作自演で他人を貶めているので他人にかけた疑惑の数々が本当のことなのかブルースが勝手に想像しているのかわからなくなっている
多分それはブルース本人にもよくわかって無くて疑惑が本当であり続けなくては自分を保てなくなってしまうからかな だからつまらないいたずらで自分を強く見せ続けているんだ
自分が社会でうまく立ち回っているんだという自信を見せつけていないと自我が保てない躁のエネルギッシュさと鬱の不安さをうまく描いてると思う なにかを振り回していないと落ち着かない衝動を抱えているとか
鬱の部分の描写では他人が動物に見える瞬間で混乱を表していたけどこれはちょっとありきたりな表現だったかもしれない かと言ってここの部分はどう表現したら他人に伝わるかというと他の表現に置き換えることが出来なくて困るんだけど 俺の経験ではこんなんじゃないとか思っても他人に伝わらないと意味が無いので でもまあもうちょっと違うというかなんというか でも俺自身を客観的に見たらこいう行動してるなっていう不審さは表現出来てたと思います(;´Д`) 
原作からそうだったけどやり場のない衝動を悪癖として表現するのはとてもうまい
というかブルースのやっていることが自分に当てはまりすぎていてとても共感を覚えてしまう これは誰しもが持つ共感ではないかもしれないが
それと自分の持っている社会の狭さもある レントンは小さい世界から抜け出していったけどブルースはずっと労働者階級の渦の中にいるしね
そしてそれと自分だけが取り残されていくという不安さを持っている 
ブルース以外の人間は悪癖の疑惑はあっても普通に善良に生きているようにも描かれている だから本当は自分だけが悪い人間で変態のクズであるって認めることが出来ない原因にもなってる
だから他人からさしのべられる手にも恐怖を感じている さしのべられる手に手を出してしまったら自分は弱い人間だと認めてしまったことにもなるからね
でも悪徳だけではなくて他人に手を差しのべたりもしていて本当の心がどこにあるのかわからなくなっている 本当は自分は悪癖だらけの人間ではなくて善良な人間なんだという気持ちものぞかせる これは自分の心に向き合いたいけれど向き合えない気持ちを表しているのかもしれない
そこから抜け出したいと思って他人を出し抜こうとするけど結局その行為は自分の不安さのループに陥っている 他人を貶めようとするのは他人からも貶められるかもしれないっていうことでもあるからね
この映画のクリフォードってキャラはブルースに弱い所を痛めつけられるばかりだったけど、そうやって弱い所を攻撃し続けていないと自分の弱さがあからさまになってしまうから怖かったんだろうね 社会的に成功した公認会計士ってキャラでもあったしそういう人間を全面的に認めてしまうと自分の負けになってしまうし
最後にクリフォードに送った言葉は本当は自分自身に言いたかった言葉で悪い自分を消し去ってしまって別の自分として生きていたいってことなのかもね
フィルス

0 件のコメント:

コメントを投稿