2013年7月1日月曜日

塀の中のジュリアスシーザー見た

奇妙な映画だった 刑務所の囚人たちが舞台を演じるために演技し練習していく映画なんだけど、演技指導とかをドキュメンタリータッチで撮るのかと思っていたら違ってた 演技しているときと素の自分でいる時の境目が曖昧なんだ 最初のうちはもちろん普通に演技指導したりするシーンが入っていたりするんだけど、演技の練習しているときに過去の自分とオーバーラップしてきて役を演じて悩んでるはずが本当に悩んでしまったりする 演技しているはずが役と役者の素の性格が同一視してしまって本当に揉めてしまったりする そういうときはとてもリアリティをもってみている自分に飛び込んでくる これは演技なの?演技指導なの?それともドキュメンタリーなの? その曖昧さが映画っていう一枚向こうの世界との隔たりを壊して飛び込んでくる 映画っていう箱庭世界の中で、その中の刑務所っていう箱庭世界の中で、その中の演技している空間っていう箱庭世界 そういう内包的な世界を撮っているので今カメラが追っているのはどの世界の話?っていうのがよくわからなくなっていくんだ 
演技の練習なはずなのに刑務所全体が練習場所になっていて他の囚人も塀の中から舞台に参加していたりもする これはまたさっきも書いた箱庭世界との世界線の崩壊だね この映画はドキュメンタリー風に撮っていながら練習風景も「ジュリアスシーザー」の話に沿っていくので練習中なのに本番でもあるという でも刑務官がそれを監視していて本番では無いって意識させたりもする おもしろい構造だね
そして最後に舞台を終えた囚人が芸術を知って監獄が牢獄に変わったって台詞で終わるんだ
演技者である囚人自身の世界線も壊されたんだね 今までのただの監獄の外の世界も見えてしまったし自分の中の新たな世界も見えてしまったからね
それで台詞で語られるわけではないけれど観ている視聴者の世界への問いかけかな 今自分が生きている社会の世界の外の世界って見えていないだけであるのかもねって 今の君たちはまだ監獄にいるのかもねってさ そういうテーマなんじゃないかな 
エンターテイメントっていう映画じゃなかったけどおもしろかったよ
前の席に座っている人が咳払いとかしないで静かにしていてくれるともっとおもしろかったと思うけど

0 件のコメント:

コメントを投稿