2013年8月1日木曜日

スプリングブレイカーズ見てきた

スプリングブレイカーズ見てきた(;´Д`) またネタバレしまくるが
この映画は俺にとっては少女革命ウテナに見えた
この主人公の4人たちって実は割と「マッチョレズ」なんですよ
日本でもそうだと思うんだけどイケてる女子高生みたいなのって男にもてたいからおしゃれするって訳じゃなくて同性同士での評価を第一基準に置いてると思うんですよね (まあ男の俺が言っても憶測でしかないんですけどね)
この主役の4人はそういう女たちで最初に「スプリングブレイク」っていう最高のステータスっていうのが示されてここにたどり着けるやつがNo.1みたいにいわれるんですよ 
そのために大学と大学の寮内でのシーンも映してます つまらない授業ってサイアク こんな学内ミーティングなんてつまらないってね 寮内でマイリトルポニー見てたりしますよ
だからいまの自分からステップアップしたいってのが前半のテーマだと思います
このへんは割とスクールカースト的なものも含んでたりするんですかねえ そういうのも含めてマッチョレズ的と思いますけど
そこからまあ強盗やって金作って「スプリングブレイク」でさんざん遊びまくりよ!ってあたりでこれからどうすんのかなあと
全体的に映画の作りがそうなんですけど各シーン割り割りでイメージカットつなげてて長回し的なカットはまずないんですね 
それでその強盗のシーンあたりもほぼカットつなげててちょっと長いのは店の外からの撮影でってシーンになってるのでこのシーンに限らずですけどこのシーン本当にこの映画内で起こってるのか?イメージ映像じゃないのか?っていう疑問でいっぱいなんですよ
制作者側はどう思ってるのかな?意図的にやったのかコレがカッコイイ映像のつなぎ方だって思ってるのか 俺は前者だと思うけど後者の可能性もちょっと残ってそうでちょっとな
そんなんなのでこの細い女たちだけで強盗なんか出来るわけなんかねえだろって思ってしまう おもちゃの銃で強盗してきたって言ってるのでもう小中学生が夏休みには俺たちこんなスゲエことやってきた自慢大会みたい
それで最高の夏休みを過ごしてきたぜってのがこの予告編の海辺のパーティってわけね
日本だとどうかとも思うけどギャルっぽい高校生くらいが最高の夏休みを過ごしてきたって言ったらこんなもんかなあ?
そんで後半 予告編でもあるけどドラッグの不法所持ってことで警察に捕まってなんかチャラい男が釈放してくれましたとさ
それでこの男(なんかエイリアンとか言ってた 名前忘れた)が銃とか持っててヤバイやつで でも金も持ってて遊んでそうでってことで どうしましょう?
このへんでまたちょっと別れてくると思うんだけど 捕まっても平気な俺スゲエってことになるかやっぱりこういうのってまずいかなってことになるのかな
なのでここで4人のウチで一人脱落 その子はどうもクリスチャン的な家族のつながりから脱却できませんでしたとさ 
ちょっと最高のステータスを得るには足りなかったね
それで3人と男になっても(おまけで2人いるけど) 強盗して金を奪って好き放題
でも報復で銃弾を腕に受けた子も怖くなっていなくなってしまったとさ
帰るときには別れを惜しんで抱き合ったりもするけれど残された二人は止まらない
再報復に行って男は撃たれて死ぬけれど敵も全滅させて最高の地位を手に入れましたって映画でした 話はだいたいこれで全部
マッチョレズと書いたのはこの子たち全然男を必要としてないんですよね こういうのは社会の環境にも依存してると思うんだけどたぶん日本でも彼氏がいるってことがステータスの一種なだけなんじゃないかなあ というか彼氏ってただの「バッジ」で中身は必要無くて彼氏持ちって看板だけが欲しいみたいな
なのでと言うわけでもないけどこの映画では彼氏がいるってことはまったく重要視されませんっていうかそんなの問題外として扱われます
それどころかエイリアンを銃で脅して私たちを奴隷にするつもり?って言ったりして服従させたりします こういうのはよっぽど女性が社会的に抑圧されてるんでしょうねえ
男女が対等な関係であったらたぶんその中ではお互いに区別はあってもたぶんその中でのランキングみたいになるんじゃないかなあ でもこの映画ではそうは描かれなくてまずは救い出してくれたあやしい男→スゲエけどヤバイやつ→手下みたいに関係が変わっていきます
でも普通はそんな男がそんな扱い受けたら黙ってるわけないのでもはやエイリアンには人格がなくなっていて設定だけで動く観念的なキャラになってしまう
そんなんで男には服従しない敵はみんな殺した最強の地位を手に入れたし全てから自由ってことですね
なのでその辺がもう現実には存在しない抽象的な最高の地位まで登り詰めたってあたりがウテナっぽいかなあと 特に劇場版のあたりなんかはそうかな
でもまあこの映画は面白いかっていうとそうでもないかなあ やっぱり現実的な目標を見据えてる割りには手段がちょっとチャチすぎるっていうか小中学生の妄想以上には見えないんですよね 
でもまあその辺はもっと低学歴(この言葉が適切だと思うので)でなにも考えてなさそうな女の子が見てもわかってもらえる映像を撮ろうと思ったらこういう手段しかないのかもしれなくて
そういう女の子たちに話を届ける手段ってのがこういう形でしかないのかなあとも思います
これは聞きかじりですけどアメリカとかには低年齢向けの少女漫画しかなくてハイティーンとか大人の女性向けの漫画が無いそうです 日本にはそういうものがあふれているので女性同士の悩みの共有ってことに社会的にとても寛容だと聞きます でもアメリカだとそういう共有の場が無いらしいので
あるいは日本だったらバンドやったりして自己表現の場を作ったりできるのかな
なので幼稚ではあるけれども隅々の人たちまでに伝えようと思ったら難しくてわかんないって言い出す層へのアピールまで含めなければならなくなってしまうのかな
なんでコレを日本で見せられてもちょっと女の子の共有感覚を持つには至らないんじゃないかな
それで最後に適当に感覚でマッチョレズって言葉を使いましたがマッチョレズて言葉は「オンナノコ同士のランキング勝負」的ってことかなあと思いました
なおマッチョレズって言葉はトレインスポッティングの作者アービンウェルシュがフィルスって小説で使ってたところから勝手に引用しました ウェルシュの意味とあってるかはわかりませんがだいたいあってると思います

ハル見てきた

きっと、うまくいくを見にいきたかったのでついでに何か用事を作ろうと内容も知らずにピックアップしたんだけどこれが大当たりでした(;´Д`)
それで相変わらずバリバリネタバレします
ポスターとか客層から少女漫画的な内容なのかなと思ってたんですが、映画始まるといきなり球体関節人形バリのロボットが出てきて悩まされます
ロボットが人間の心を見つけていくSFアニメでいくのか?少女漫画でいくのか?
あるいは取り巻く人々の描き方がジブリっぽいので人情ものでいくのか?(これは監督がテレコム出身みたいなのでそのせいみたいです)
でもまあそのロボが人間の青年になってヒロインの心を取り戻すってあたりから少女漫画な話になっていきます
話としては飛行機事故で主役のハルが死んでしまったのでロボットがハルの姿そのままになってヒロインのくるみを慰めようって話です
でも描き方がおかしいんですよね
ヒロインのキャラの過去の描かれ方を見ると明るい子でふさぎ込んで家にこもりきりって風にも見えないんです
誰でもそんな風な気分になることはありますけどそれがずっと続くってのはどうかなと思うわけです
でもまあそれはそういう設定だからまあいいやと見ていくとロボハルのおかげで心を開いてくる
このあたりの描写もうまくてキーになってるのがルービックキューブとusbメモリみたいなブローチ(これはパンフによると小さいビデオカメラみたいです)
ルービックキューブなんですけどそのオブジェとしての扱い方がうまいうまい
色がそろった面にメッセージが書かれてるんです
「ハルと料理したい」「キリンと一緒に暮らしたい」なんてのがね
心を閉じたくるみの心を断片的に取り出すツールとして機能してます
そしてその観念的な部分で言うとバラバラになってしまった心の色を少しずつ結びつけていくと心の中が見えてくるっていうギミックになってます これはとても芸術的なオブジェですね
そしてブローチですね
これは失ったハルの心を取り戻すツールとしてくるみの側から描かれます
なんかにぶつけたのか欠けていてそれをくるみが半田ごてで修理してたりします (女の子が半田ごてで修理?とも思いますがそこはきちんとあとでわかるので・・・)
ブローチは映像を記録していて二人の過去を再生してくれます
この映像によって二人がケンカ別れしたあとにハルが死んでしまったことがわかるんですが
このブローチはくるみからの謝罪の気持ちを表していてその破損を直してハルの胸に付けてあげるってことでくるみの心を埋めていくギミックになってます
で、まあそんなことで少女漫画的に過去の補完をしていくんですがおかしいんです
最初はロボハルを拒否するくるみなんですが、まあそりゃ当たり前ですよね 死んだ彼氏のかわりにそっくりのロボが来たからってそんなのでいきなり心を開くわけないので
でもまあ最初の拒否のあとにくるみがロボハルに「服を着替えろ」書き置きメッセージを残したりします
俺としてはその時点でもうロボハルを受け入れていてほぼ立ち直っているんじゃないか?と読めるのでその後は仲を深めあっていくだけなんですが、
ロボハルはキリンの置物を用意したりしてくるみを慰めていくんだけどどうも話の順序を追っていかないような感じ
ハル「料理を作る」→くるみ「着替えろ書き置き」→ハル「キリン」→くるみ「ブローチ修理」
なんですけどここにロボハルの心の問題があってロボハルがハルの心を取り戻していくっていう問題が出てます 
ロボハルはくるみのことを知らないのでくるみのことを知るっていうことはくるみを通したハルの心を知るって言うことでもあるわけです
キリンのあたりでもうくるみが立ち直っていそうなんですけどなぜかロボハルを拒否したりしるんです
つまりこれは話の流れを追って心を取り戻す手法ではなくて、ルービックキューブのメッセージによって断片的に記憶を点でつなぎ合わせていく手法をとっているんじゃないか?と思わせてくれます
でも少女漫画ではよくあることで普遍的な見せ方なのでなにも問題ありませんよね
そんなことでブローチの過去映像を再生してこんなに仲が良かったのにハルの過去の話(お金が大事的なのでくるみが大事にしていた石を売っちゃった)のせいで二人がケンカしてしまった→心を取り戻せたね的な話でハッピーエンド。二人で浴衣を着てお祭りに行ったりします
でもそこで終わらなくてハルの過去話にからんで昔の不良仲間みたいなやつが出てきます
なんでここで混ぜ返すのかなあ(;´Д`)最後にハラハラさせないといけないと思ってる頭の悪い映画をなぞっちゃってるのかなあと思ったんですが、実はきちんと意味がありました
不良仲間はリュウっていうんですがコイツはハルが死んだってこと知らないんですよ
友達なのに飛行機事故で死んだってこと知らないなんてあり得ないよなあと
それで金に困っててコイツを売ろうぜ的なこと言ってきたりしてね
くるみがなにか大事なものもってるのか?ハルの過去話にあったようにハルの労働力を売ろうとしてるのか?
そこで祭りの最中だったんですがくるみがハルをかばってハルに逃げてって言ったりしてリュウは何を追っているのかよくわからないままなんだけど
そして逃げている途中でのくるみの怪我
もちろんハルはくるみを助けようとするんだけど・・・リュウもくるみもどこかおかしい・・・
一応ここでオチは書かないでおきますね(;´Д`)Wikipediaには書いてあるけどね
なんで今までの描写がおかしかったのか理解できる仕掛けが隠されているんです それまでに二人の感情にどこか共感を覚えられなかった理由が
そしてそこからはハルの心の中の話になりますね
失ってしまったくるみの心とくるみが付けてくれたブローチの意味と断片的に思い出させるルービックキューブ
それはずっとロボハルの心の中の話だったから
その浴衣を着てくれたんだねっていう台詞もあったりしましたよね
周りの人たちもきちんとロボハルを支えてくれていましたよね
そしてロボハルの付けていたボタンに気がついてくるみの助けになろうとしてくれた人の意味も
だから失ったくるみの心が見つかったので感動を呼べたと思いますね
話のつながりや心の共感だけではなくてきちんとギミックでどうして心が見つかったかを説明できている映画だと思います
大満足な映画でした(;´Д`)
是非みんなに見て欲しいけど俺と同じ見方をしないとおもしろく無いかもしれないってコレ書いてて思いました

ホーリー・モーターズ見てきた

ちょっと抽象的な内容なので俺が思っただけの感想なんだけど(;´Д`)
主人公のオスカーは「ホーリーモーターズ」の名前から連想されるように天使なんだろうか?それともどこかにカメラが配置されている?のでタダの俳優なのか?(昔のカメラはという台詞もあった)
少なくともオスカーはメイクをして誰かのために役を演じる それも天使?と書いたのは「役」の相手役が誰もが懺悔を欲していてそれを受け止める役所だからね
でもオスカーはただの俳優ではなくてどうも死なないっぽい ちょっと混乱して銀行家を殺しちゃってボディガードに撃たれても死んで無いからね でもそれも混乱して銀行家を襲うって役なのかな? でもリムジンのドライバーの女が心配してるあたり本当に混乱していたのかもしれない 顔にシミのあるストーリーテラーっぽい人がこの仕事をどう感じてる?みたいな台詞もあったしね 
でもそれもどちらとも取れるようにも思う 銀行家は誰かに殺されることこそ懺悔と思っているのかもしれない 金は不幸ともつながっているからね でもそれともオスカーの妄想で「銀行家はそう思っている」と思い込んでいるのかもしれない そしてその懺悔を受けに入ったとも
そして後半に入ってオスカーと同じ職業?っぽい女と少しのプライベートな話をする そして女が歌う 「もしあの頃別の道を選んでいたら」
これは誰かのために俳優として奉仕する自分たちの心情を表しているのかな
そしてその舞台にされる古い廃業したデパートらしき建物 そこは台詞でホテルとして改装されるだったかなそんな台詞があった
今は誰かのために奉仕する仕事をしているけれども それは昔のこの背景の豪華なデパートを表していて でもそのデパートはもう廃墟で草も生えている有様ででもそれもホテルとして改装されるのならば別のものになれるのかもしれないね
このシーンは素直にオスカーたちの心情を映していると考えて間違いないと思う すぐに女はそのデパートを舞台に女優になるからね つかの間の本音を言えるシーンだったんだ
そしてその女優が心中したシーンを見たオスカー それは女優としての仕事だから本当に死んでいないのかもしれないけどオスカーはちょっと割り切れなかったみたいで叫んでリムジンに駆け込んだりする
最後にオスカーは猿が家族の家に戻ってそこで仕事は終わる
そしてリムジンはホーリーモーターズ社に戻りドライバーは仮面をつけて帰りリムジンたちは会話する
でもちょっと会話の内容は忘れちゃったな(;´Д`)
そういうギミックで自分の人生は自分だけのものじゃなくて誰かに切り売りしているものだっていう風刺ともとれるかな
それとも生きているってことは誰かの演技と自分の演技との芝居であるってことかもしれない
インターミッションでアコーディオンの楽団っぽいシーンが入ったのはオスカーの休息のために他の俳優たちが助演してくれていたのかな
序盤の全身タイツのシーンなんかは特に演技のための演技であってそこは誰のためでもない最も抽象的なシーンだしね ただ演技しているだけでカメラも存在しているのかどうか?そのイメージとして悪魔同士の交わりみたいなシーンも映し出されたり でもその場いくには楽屋も無かったりね ただ演技することだけが目的みたいだった
抽象的な映画なので楽しめたっていうより意味深な映画だったよ(;´Д`)
なので映画を楽しむと言うよりは絵画展に行ったみたいな感じだったかな

天使の分け前見てきた

クズな少年が人と出会って更生していく話なのかなあと思ってたんですけどどちらかって言うと俺にはトレインスポッティングでした(;´Д`)
舞台もそのままグラスゴーでしたしね トレインスポッティングから原作者のアービンウェルシュの小説をいくつか読んでるのですけど ああいうトレインスポッティングのような失業中で酒とドラッグまみれみたいな人たちが多くいるらしい的なことをアービンウェルシュは書いてるんですよ
たしか「グルー」って小説だったと思うんですけどトレインスポッティングよりはグルーに近いかな
この映画でも語られているんだけど別に個人がクズだからって言うよりも周りの人全員がクズっぽいみたいな 別にこれはグラスゴーだからって訳じゃなくて日本でもそうだと思うんだけど子供が生まれてその周りで喜んでるんだけどその周りにいる人たちが赤ん坊の前でタバコふかしながら酒飲んで騒いでるみたいな そういうのが割と普通なのかなとか
この天使の分け前では主人公のロビーが立ち直ろうとするのに周りの人たちが足を引っ張ってしまって結局抜け出せない
同じ更正仲間のモーだってさ コイツも泥棒が癖になっちゃってるんだよね こういう人たちと一緒にいることが奉仕活動としての更正活動としてどうなのかなとも まあアル中の俺が言うのもなんだけどさ
ネタバレだけど結局は非合法の泥棒でしか抜け出せなかったんだよね まあ一応叔父から金はやるからロンドンに行って女と別れろみたいな話はあるんだけどさ それしかないかもとはロビーは考えるんだけど結局はそれは違うんじゃないのと 俺はそういうのもアリだとは思うけどそう割り切れないよね
最終的には泥棒で一山当てて安心できる田舎の家と仕事と金を手に入れてハッピーエンドでね その辺はあんまりどろどろしてなくてスッキリと見れたと思うよ 
それにまあその辺の泥棒の話もあんまり悪いことしたんじゃなくて酒樽からちょっとかすめても天使の分け前ってことでいいだろ?的な話で罪悪感なく終わってるしね 
でもまあロビー以外の仲間はみんな適当に金使ってすぐに貧乏に戻るんだろうけどさ ロビーはテイスティングで生きていけそうだったけどあいつらなんにもなかったしな
その辺はある意味トレインスポッティングの金は独り占めで出し抜いてどこか別の世界にある世界で新しい生活を始めるんだって方が逆にスッキリしてるようにも思うね
でもまあ後味は悪くないしいい映画だったと思うよ
パンフレットも買おうかと思ったけど貧乏なのでやめておいた