2013年12月25日水曜日

ブリングリングみてきた

ブリングリングみてきた
スプリングブレイカーズみたいな映画なのかなあと想像して見にいったんだけどスゲエ淡々と撮っていた
ドキュメンタリー形式とは言っても音楽で感情表現くらいするだろうと思ってたのに盗みに入るった時に逆に無音にするのよ 音楽で盛り上げられるのにね
キャッチコピー的には若者が好き勝手に泥棒しましたみたいな感じなのに
どっちかっていうとこの映画はメッセージをはっきりと言わないで心の底に持っている感情をうっすらとすくい取って映し出したみたいな映画
お金持ちのセレブの家ががらんどうであったり(抗うつ剤が見つかったりする)
豪邸なのに不用心であったり
少女のあこがれのスターになりたいって気持ちがセレブでの家での豪遊だったり
友人は選びなさい自分は友人たちの平均値だt言ったことだったり
善悪の判断は法律じゃなくて親友や家族といった小集団での利益であったり(この辺が一番強いと思う アメリカ人はボニーアンドクライド的な悪を好む)
あとはこれも今書いたこととちょっと結びついてるけどあんまり盗みを罪悪感を持って描いてないのよね 緊張してそうに映し出される演技って遊びで銃を向けられたときくらいで盗みの時の緊張感も無くはないけどほとんどゼロだった
あんまり善悪で判断して欲しくないし悪いこと=自由なオレ的な流れの映画にもしたくなかったんだろうね
それにしても静かな映画なのでちょっと風刺的にアメリカを見た気はするけどどこを楽しめって言われるとおもしろみがない映画なんだよなあ(;´Д`)

2013年12月1日日曜日

ある精肉店の話見てきた

ある精肉店の話は割と淡々としたドキュメンタリーだった 部落の話とか出てくるけど左がかったりしてないし 端的に牛の生産から小売まで撮り続けてた 最初にと殺やっていろいろ見せたあとにもう一度と殺してて二度美味しい
ういうふうに最初から最後まで全部出来ると面白いんだけどな 今では分業になってしまって仕事というか労働になってしまうので面白みがない気がするね それで一つの仕事をやるために家族で共同作業するという そういう人の集まり方もバラバラになってしまっているのかなと思った 
映画として面白いかというとまあそれなりかな ドキュメンタリーだし もう一回見てもしょうがないし 半券あると安くなるらしいけど
あと牛って簡単に死んだり簡単に死ななかったりするもんなんだな 銀の匙では重そうなテーマだったけど淡々と描かれてた 銀の匙で免疫があったからかな 内臓見せられたりは少しグロかったけどね まあ商品になってしまうんだなあと
監督は最後にまた出てきてパンフレットとかの宣伝してました それと映画に出てきてない死んだ父の話しもしていました 家族の話にも出来たんだろうけどあまり感情に重きを置かない作りにするためにキッチリバランスとってつくってたのでドキュメンタリーとして見やすい映画でした
ちょっと書き忘れたけど牛を殴った後に脳に棒突っ込んでグリってやるのはちょっとスゲエって思った

フィルス見てきた

トレインスポッティングではレントンがみんなを出し抜いてクズな世界から抜け出していったけどこの映画は残された人の話
話の導入の部分は悪徳警官のクライムコメディで入っていくけど、そのコメディの部分で他人の欠点をあげつらったりする そこの部分はかなりステレオタイプな偏見を持って他人を見ていてなかなか笑える
そういうところでやり手の警官なんだぜ的なところをブイブイと見せつけておいてだんだんとこの作品の深みにはまってくる
導入で他人の欠点をあげつらっているのは自分の欠点を知っているからその弱点を見抜くことが出来るとも言える この映画の場合には主人公のブルースが自作自演で他人を貶めているので他人にかけた疑惑の数々が本当のことなのかブルースが勝手に想像しているのかわからなくなっている
多分それはブルース本人にもよくわかって無くて疑惑が本当であり続けなくては自分を保てなくなってしまうからかな だからつまらないいたずらで自分を強く見せ続けているんだ
自分が社会でうまく立ち回っているんだという自信を見せつけていないと自我が保てない躁のエネルギッシュさと鬱の不安さをうまく描いてると思う なにかを振り回していないと落ち着かない衝動を抱えているとか
鬱の部分の描写では他人が動物に見える瞬間で混乱を表していたけどこれはちょっとありきたりな表現だったかもしれない かと言ってここの部分はどう表現したら他人に伝わるかというと他の表現に置き換えることが出来なくて困るんだけど 俺の経験ではこんなんじゃないとか思っても他人に伝わらないと意味が無いので でもまあもうちょっと違うというかなんというか でも俺自身を客観的に見たらこいう行動してるなっていう不審さは表現出来てたと思います(;´Д`) 
原作からそうだったけどやり場のない衝動を悪癖として表現するのはとてもうまい
というかブルースのやっていることが自分に当てはまりすぎていてとても共感を覚えてしまう これは誰しもが持つ共感ではないかもしれないが
それと自分の持っている社会の狭さもある レントンは小さい世界から抜け出していったけどブルースはずっと労働者階級の渦の中にいるしね
そしてそれと自分だけが取り残されていくという不安さを持っている 
ブルース以外の人間は悪癖の疑惑はあっても普通に善良に生きているようにも描かれている だから本当は自分だけが悪い人間で変態のクズであるって認めることが出来ない原因にもなってる
だから他人からさしのべられる手にも恐怖を感じている さしのべられる手に手を出してしまったら自分は弱い人間だと認めてしまったことにもなるからね
でも悪徳だけではなくて他人に手を差しのべたりもしていて本当の心がどこにあるのかわからなくなっている 本当は自分は悪癖だらけの人間ではなくて善良な人間なんだという気持ちものぞかせる これは自分の心に向き合いたいけれど向き合えない気持ちを表しているのかもしれない
そこから抜け出したいと思って他人を出し抜こうとするけど結局その行為は自分の不安さのループに陥っている 他人を貶めようとするのは他人からも貶められるかもしれないっていうことでもあるからね
この映画のクリフォードってキャラはブルースに弱い所を痛めつけられるばかりだったけど、そうやって弱い所を攻撃し続けていないと自分の弱さがあからさまになってしまうから怖かったんだろうね 社会的に成功した公認会計士ってキャラでもあったしそういう人間を全面的に認めてしまうと自分の負けになってしまうし
最後にクリフォードに送った言葉は本当は自分自身に言いたかった言葉で悪い自分を消し去ってしまって別の自分として生きていたいってことなのかもね
フィルス

2013年9月1日日曜日

風立ちぬ見てきた

いつも通りバンバンネタバレしますが(;´Д`)
この映画は「好きなことだけやっていられたらいいよね(;´Д`)」って映画だと思いました 
僕も好きなことだけやっていたいのでこの映画は好きな映画です
だけどこの映画はおもしろがりどころが無い映画だなあとも思いました
全体としてちょっとナレーションとか字幕とか入れれば格段にわかりやすくなるところをあえて入れていないので時間の経過がわかりづらいんですよね
変に話の途中に回顧を入れたりしていないので時系列通りに話は進むので混乱することはないんだけどとくに注釈も無く何年も過ぎてるのはスゴイと思いました
その辺は堀越二郎をある意味「夢の中の人」という風に描いているのでそういう現実にたち戻される瞬間をなくすためにわざとやったんだと思いますけどね
実際に客観的な風景描写以外では現実と向き合わせてくれるキャラクターが妹の加代しかいなかったし(;´Д`)
子供の頃から飛行機のことばっか夢見てきてそれだけ考えていられたらいいよね(;´Д`) あとは適当に社会人っぽいことだけしておいて回りからとりあえず取り繕っておけばいいし
なので堀越二郎はあんまり社会人としてきちんとしてません
同僚の本庄はきちんと結婚して家庭をもっているのにフラフラと下宿暮らししていたりね
その本庄にもお菓子の「シベリア」のシーンで結婚と安定と変わっていくことアンビバレンツ的なことも言ってたし(この辺はもう一回見て台詞とかはっきりさせたい)
というあたり本庄を堀越に性格的に近い人物と描きつつも本庄は現実的って描き方します
現実的ってところは本庄が輸送機、爆撃機を担当するってあたりにも臭わされてます このあたりは堀越が自主的に選んだというわけではないけれど堀越は社会に役立つものを作りたいんじゃなくてあくまで夢あるスゴイ飛行機を作りたいんだってことで対比する存在になってます 
そんな実用第一の飛行機なんて俺の作りたい飛行機じゃねえんだよ!
まあ技術的にスゲエところは俺の飛行機にも取り入れるけどな!
まあ堀越はそういう強い台詞を吐くキャラじゃないですけど監督はそう言ってるみたいです
それに堀越は飛行機のことだけ考えていたいので他人との関わり方も適当です
いま買ってきたばかりのお菓子のシベリアをその辺の子供に分け与えようとしたりします
子供はお菓子をもらわずに立ち去るんですがこのいい加減なところを堀越に説教されたりします
というかヒロインの菜穂子に対してもこの態度なのでなかなか笑わせてくれます
軽井沢で再開してからの雨の中のシーン 二人はこれで親密になっていくっていうところでも大震災でおキヌを助けた時から堀越は「白馬の王子様だったのよ」っていうのに対して「ずいぶん雨漏りしますね」ってさ(;´Д`)
でもまあこれは二重に意味を取れるようになっていて堀越がここまで俺が書いてきたように「適当に生きてる」っていうように取るか「照れ隠し」って取るかどっちでも取れるようになってるんですけどね(;´Д`)
でもこの辺は照れ隠しって取れるように宮崎駿がアリバイ作りしたんだと思います
こういうアリバイ作りは風と帽子の話でも作ってます
堀越が菜穂子に好きだって言うところなんですけど「風と帽子が運んできてくれたときから好きでした」だったかな(;´Д`)そんな台詞
大震災のときの汽車の時の帽子の話か軽井沢に来てから飛んできた帽子の話かどちらかよくわからないようにしています
つまり「昔からずっと好きだった」か「軽井沢に来てから好きになった」かよくわかりません
しかも軽井沢に来てから大震災の時の菜穂子だってわかった時に「あああの時の」なんて台詞を言わせています
なのでこれは適当派ならその場の思いつきの台詞で今好きになったって解釈出来るし人生の中の思い出の恋愛なら昔からずっと好きだったけど純朴でずっと気持ちを表に出来なかったですね
でもやっぱり妹の加代が医者になったってのを加代が訪ねてきて初めて知ったってあたりで適当描写のアリバイって線が強いですね
それにそういういい加減な話にしてしまうと一般の客が引いてしまうし(;´Д`)
でないと菜穂子があまりにもかわいそうなヒロインすぎるから菜穂子に感情移入出来る余地を残しておかないとね
本当は堀越は飛行機のことだけ考えて仕事していたいけど世間体もあるしちょっとの余暇に恋してみただけで本当は飛行機の方が大事ってことをおおっぴらに言ってしまうとジブリ映画としてちょっとマズイし
俺は結婚っていう責任は負いたくないんだけど時々は女を好きになったりもするんだよ!
まあ仕事の息抜きでだけ自分がやりたいときだけ相手にするだけだけどな!
なんで二重解釈できることにして昔からの恋愛話にしておいてます
なので病気で寝込んでる横で仕事していても
仕事で忙しいのに手を握っていてくれていいて堀越はずっと菜穂子を愛していてくれていたっていうアリバイですね
本当はとりあえず手は握っているけど両手で仕事した方がはかどるのになあ
それにこの結婚も割と思いつきで「シベリア」をあげようとしていた子供たちに対する思いつきとも取れるようになってます
その場の思いつきで世間に対する「いいこと」もしたいキャラクターですってね
堀越は菜穂子に対して正直なんにもしてやってないので(;´Д`) 目の前で起こってる不幸に対して手をさしのべてるだけです 
シベリアをあげるのと菜穂子に対する優しさが同レベルで語られています
堀越は菜穂子が病院に入るのを手助けしたりしたわけでも無くてほぼ放置で行き当たりばったりだもんなあ(;´Д`)
血を吐いたっていう電報の時にちょっと日帰りで見舞いにいっただけだしね
好意的に解釈すればスゴク忙しい中でも菜穂子のことを見舞いに行ったって話とも取れるけどね
あとはまあカプローニがもっと夢の中の世界で、現実は夢の中の世界じゃないけど夢のうつつの状態にしておきたいって感じで、加代みたいに現実に引き戻そうとする勢力は適当にあしらっておけばいいやみたいな世界観が最高でした(;´Д`)
堀越は一応そうするしか無いので戦闘機作ってたけど本当は機関銃も乗せない方がもっと飛行機なのになあって思っていて夢なかばだし
たしか設計段階で270キロとか言ってたのに試験飛行で240キロだったし
「生きねば」ってキャッチコピーは本当はやりたいことは違うんだけどわがままばっかり言ってるだけじゃ生きていけないから言い訳程度に社会活動もしておこう めんどくさいなあってことですね(;´Д`)
今はこんなことしてるけど本当にやりたいことは違うんだよっていうわがままとも取れる映画だと思いました
ただちょっとエンタテイメント性が薄いのでおもしろい楽しませてくれる映画を見たい人には退屈な映画だと思いました

2013年8月1日木曜日

スプリングブレイカーズ見てきた

スプリングブレイカーズ見てきた(;´Д`) またネタバレしまくるが
この映画は俺にとっては少女革命ウテナに見えた
この主人公の4人たちって実は割と「マッチョレズ」なんですよ
日本でもそうだと思うんだけどイケてる女子高生みたいなのって男にもてたいからおしゃれするって訳じゃなくて同性同士での評価を第一基準に置いてると思うんですよね (まあ男の俺が言っても憶測でしかないんですけどね)
この主役の4人はそういう女たちで最初に「スプリングブレイク」っていう最高のステータスっていうのが示されてここにたどり着けるやつがNo.1みたいにいわれるんですよ 
そのために大学と大学の寮内でのシーンも映してます つまらない授業ってサイアク こんな学内ミーティングなんてつまらないってね 寮内でマイリトルポニー見てたりしますよ
だからいまの自分からステップアップしたいってのが前半のテーマだと思います
このへんは割とスクールカースト的なものも含んでたりするんですかねえ そういうのも含めてマッチョレズ的と思いますけど
そこからまあ強盗やって金作って「スプリングブレイク」でさんざん遊びまくりよ!ってあたりでこれからどうすんのかなあと
全体的に映画の作りがそうなんですけど各シーン割り割りでイメージカットつなげてて長回し的なカットはまずないんですね 
それでその強盗のシーンあたりもほぼカットつなげててちょっと長いのは店の外からの撮影でってシーンになってるのでこのシーンに限らずですけどこのシーン本当にこの映画内で起こってるのか?イメージ映像じゃないのか?っていう疑問でいっぱいなんですよ
制作者側はどう思ってるのかな?意図的にやったのかコレがカッコイイ映像のつなぎ方だって思ってるのか 俺は前者だと思うけど後者の可能性もちょっと残ってそうでちょっとな
そんなんなのでこの細い女たちだけで強盗なんか出来るわけなんかねえだろって思ってしまう おもちゃの銃で強盗してきたって言ってるのでもう小中学生が夏休みには俺たちこんなスゲエことやってきた自慢大会みたい
それで最高の夏休みを過ごしてきたぜってのがこの予告編の海辺のパーティってわけね
日本だとどうかとも思うけどギャルっぽい高校生くらいが最高の夏休みを過ごしてきたって言ったらこんなもんかなあ?
そんで後半 予告編でもあるけどドラッグの不法所持ってことで警察に捕まってなんかチャラい男が釈放してくれましたとさ
それでこの男(なんかエイリアンとか言ってた 名前忘れた)が銃とか持っててヤバイやつで でも金も持ってて遊んでそうでってことで どうしましょう?
このへんでまたちょっと別れてくると思うんだけど 捕まっても平気な俺スゲエってことになるかやっぱりこういうのってまずいかなってことになるのかな
なのでここで4人のウチで一人脱落 その子はどうもクリスチャン的な家族のつながりから脱却できませんでしたとさ 
ちょっと最高のステータスを得るには足りなかったね
それで3人と男になっても(おまけで2人いるけど) 強盗して金を奪って好き放題
でも報復で銃弾を腕に受けた子も怖くなっていなくなってしまったとさ
帰るときには別れを惜しんで抱き合ったりもするけれど残された二人は止まらない
再報復に行って男は撃たれて死ぬけれど敵も全滅させて最高の地位を手に入れましたって映画でした 話はだいたいこれで全部
マッチョレズと書いたのはこの子たち全然男を必要としてないんですよね こういうのは社会の環境にも依存してると思うんだけどたぶん日本でも彼氏がいるってことがステータスの一種なだけなんじゃないかなあ というか彼氏ってただの「バッジ」で中身は必要無くて彼氏持ちって看板だけが欲しいみたいな
なのでと言うわけでもないけどこの映画では彼氏がいるってことはまったく重要視されませんっていうかそんなの問題外として扱われます
それどころかエイリアンを銃で脅して私たちを奴隷にするつもり?って言ったりして服従させたりします こういうのはよっぽど女性が社会的に抑圧されてるんでしょうねえ
男女が対等な関係であったらたぶんその中ではお互いに区別はあってもたぶんその中でのランキングみたいになるんじゃないかなあ でもこの映画ではそうは描かれなくてまずは救い出してくれたあやしい男→スゲエけどヤバイやつ→手下みたいに関係が変わっていきます
でも普通はそんな男がそんな扱い受けたら黙ってるわけないのでもはやエイリアンには人格がなくなっていて設定だけで動く観念的なキャラになってしまう
そんなんで男には服従しない敵はみんな殺した最強の地位を手に入れたし全てから自由ってことですね
なのでその辺がもう現実には存在しない抽象的な最高の地位まで登り詰めたってあたりがウテナっぽいかなあと 特に劇場版のあたりなんかはそうかな
でもまあこの映画は面白いかっていうとそうでもないかなあ やっぱり現実的な目標を見据えてる割りには手段がちょっとチャチすぎるっていうか小中学生の妄想以上には見えないんですよね 
でもまあその辺はもっと低学歴(この言葉が適切だと思うので)でなにも考えてなさそうな女の子が見てもわかってもらえる映像を撮ろうと思ったらこういう手段しかないのかもしれなくて
そういう女の子たちに話を届ける手段ってのがこういう形でしかないのかなあとも思います
これは聞きかじりですけどアメリカとかには低年齢向けの少女漫画しかなくてハイティーンとか大人の女性向けの漫画が無いそうです 日本にはそういうものがあふれているので女性同士の悩みの共有ってことに社会的にとても寛容だと聞きます でもアメリカだとそういう共有の場が無いらしいので
あるいは日本だったらバンドやったりして自己表現の場を作ったりできるのかな
なので幼稚ではあるけれども隅々の人たちまでに伝えようと思ったら難しくてわかんないって言い出す層へのアピールまで含めなければならなくなってしまうのかな
なんでコレを日本で見せられてもちょっと女の子の共有感覚を持つには至らないんじゃないかな
それで最後に適当に感覚でマッチョレズって言葉を使いましたがマッチョレズて言葉は「オンナノコ同士のランキング勝負」的ってことかなあと思いました
なおマッチョレズって言葉はトレインスポッティングの作者アービンウェルシュがフィルスって小説で使ってたところから勝手に引用しました ウェルシュの意味とあってるかはわかりませんがだいたいあってると思います

ハル見てきた

きっと、うまくいくを見にいきたかったのでついでに何か用事を作ろうと内容も知らずにピックアップしたんだけどこれが大当たりでした(;´Д`)
それで相変わらずバリバリネタバレします
ポスターとか客層から少女漫画的な内容なのかなと思ってたんですが、映画始まるといきなり球体関節人形バリのロボットが出てきて悩まされます
ロボットが人間の心を見つけていくSFアニメでいくのか?少女漫画でいくのか?
あるいは取り巻く人々の描き方がジブリっぽいので人情ものでいくのか?(これは監督がテレコム出身みたいなのでそのせいみたいです)
でもまあそのロボが人間の青年になってヒロインの心を取り戻すってあたりから少女漫画な話になっていきます
話としては飛行機事故で主役のハルが死んでしまったのでロボットがハルの姿そのままになってヒロインのくるみを慰めようって話です
でも描き方がおかしいんですよね
ヒロインのキャラの過去の描かれ方を見ると明るい子でふさぎ込んで家にこもりきりって風にも見えないんです
誰でもそんな風な気分になることはありますけどそれがずっと続くってのはどうかなと思うわけです
でもまあそれはそういう設定だからまあいいやと見ていくとロボハルのおかげで心を開いてくる
このあたりの描写もうまくてキーになってるのがルービックキューブとusbメモリみたいなブローチ(これはパンフによると小さいビデオカメラみたいです)
ルービックキューブなんですけどそのオブジェとしての扱い方がうまいうまい
色がそろった面にメッセージが書かれてるんです
「ハルと料理したい」「キリンと一緒に暮らしたい」なんてのがね
心を閉じたくるみの心を断片的に取り出すツールとして機能してます
そしてその観念的な部分で言うとバラバラになってしまった心の色を少しずつ結びつけていくと心の中が見えてくるっていうギミックになってます これはとても芸術的なオブジェですね
そしてブローチですね
これは失ったハルの心を取り戻すツールとしてくるみの側から描かれます
なんかにぶつけたのか欠けていてそれをくるみが半田ごてで修理してたりします (女の子が半田ごてで修理?とも思いますがそこはきちんとあとでわかるので・・・)
ブローチは映像を記録していて二人の過去を再生してくれます
この映像によって二人がケンカ別れしたあとにハルが死んでしまったことがわかるんですが
このブローチはくるみからの謝罪の気持ちを表していてその破損を直してハルの胸に付けてあげるってことでくるみの心を埋めていくギミックになってます
で、まあそんなことで少女漫画的に過去の補完をしていくんですがおかしいんです
最初はロボハルを拒否するくるみなんですが、まあそりゃ当たり前ですよね 死んだ彼氏のかわりにそっくりのロボが来たからってそんなのでいきなり心を開くわけないので
でもまあ最初の拒否のあとにくるみがロボハルに「服を着替えろ」書き置きメッセージを残したりします
俺としてはその時点でもうロボハルを受け入れていてほぼ立ち直っているんじゃないか?と読めるのでその後は仲を深めあっていくだけなんですが、
ロボハルはキリンの置物を用意したりしてくるみを慰めていくんだけどどうも話の順序を追っていかないような感じ
ハル「料理を作る」→くるみ「着替えろ書き置き」→ハル「キリン」→くるみ「ブローチ修理」
なんですけどここにロボハルの心の問題があってロボハルがハルの心を取り戻していくっていう問題が出てます 
ロボハルはくるみのことを知らないのでくるみのことを知るっていうことはくるみを通したハルの心を知るって言うことでもあるわけです
キリンのあたりでもうくるみが立ち直っていそうなんですけどなぜかロボハルを拒否したりしるんです
つまりこれは話の流れを追って心を取り戻す手法ではなくて、ルービックキューブのメッセージによって断片的に記憶を点でつなぎ合わせていく手法をとっているんじゃないか?と思わせてくれます
でも少女漫画ではよくあることで普遍的な見せ方なのでなにも問題ありませんよね
そんなことでブローチの過去映像を再生してこんなに仲が良かったのにハルの過去の話(お金が大事的なのでくるみが大事にしていた石を売っちゃった)のせいで二人がケンカしてしまった→心を取り戻せたね的な話でハッピーエンド。二人で浴衣を着てお祭りに行ったりします
でもそこで終わらなくてハルの過去話にからんで昔の不良仲間みたいなやつが出てきます
なんでここで混ぜ返すのかなあ(;´Д`)最後にハラハラさせないといけないと思ってる頭の悪い映画をなぞっちゃってるのかなあと思ったんですが、実はきちんと意味がありました
不良仲間はリュウっていうんですがコイツはハルが死んだってこと知らないんですよ
友達なのに飛行機事故で死んだってこと知らないなんてあり得ないよなあと
それで金に困っててコイツを売ろうぜ的なこと言ってきたりしてね
くるみがなにか大事なものもってるのか?ハルの過去話にあったようにハルの労働力を売ろうとしてるのか?
そこで祭りの最中だったんですがくるみがハルをかばってハルに逃げてって言ったりしてリュウは何を追っているのかよくわからないままなんだけど
そして逃げている途中でのくるみの怪我
もちろんハルはくるみを助けようとするんだけど・・・リュウもくるみもどこかおかしい・・・
一応ここでオチは書かないでおきますね(;´Д`)Wikipediaには書いてあるけどね
なんで今までの描写がおかしかったのか理解できる仕掛けが隠されているんです それまでに二人の感情にどこか共感を覚えられなかった理由が
そしてそこからはハルの心の中の話になりますね
失ってしまったくるみの心とくるみが付けてくれたブローチの意味と断片的に思い出させるルービックキューブ
それはずっとロボハルの心の中の話だったから
その浴衣を着てくれたんだねっていう台詞もあったりしましたよね
周りの人たちもきちんとロボハルを支えてくれていましたよね
そしてロボハルの付けていたボタンに気がついてくるみの助けになろうとしてくれた人の意味も
だから失ったくるみの心が見つかったので感動を呼べたと思いますね
話のつながりや心の共感だけではなくてきちんとギミックでどうして心が見つかったかを説明できている映画だと思います
大満足な映画でした(;´Д`)
是非みんなに見て欲しいけど俺と同じ見方をしないとおもしろく無いかもしれないってコレ書いてて思いました

ホーリー・モーターズ見てきた

ちょっと抽象的な内容なので俺が思っただけの感想なんだけど(;´Д`)
主人公のオスカーは「ホーリーモーターズ」の名前から連想されるように天使なんだろうか?それともどこかにカメラが配置されている?のでタダの俳優なのか?(昔のカメラはという台詞もあった)
少なくともオスカーはメイクをして誰かのために役を演じる それも天使?と書いたのは「役」の相手役が誰もが懺悔を欲していてそれを受け止める役所だからね
でもオスカーはただの俳優ではなくてどうも死なないっぽい ちょっと混乱して銀行家を殺しちゃってボディガードに撃たれても死んで無いからね でもそれも混乱して銀行家を襲うって役なのかな? でもリムジンのドライバーの女が心配してるあたり本当に混乱していたのかもしれない 顔にシミのあるストーリーテラーっぽい人がこの仕事をどう感じてる?みたいな台詞もあったしね 
でもそれもどちらとも取れるようにも思う 銀行家は誰かに殺されることこそ懺悔と思っているのかもしれない 金は不幸ともつながっているからね でもそれともオスカーの妄想で「銀行家はそう思っている」と思い込んでいるのかもしれない そしてその懺悔を受けに入ったとも
そして後半に入ってオスカーと同じ職業?っぽい女と少しのプライベートな話をする そして女が歌う 「もしあの頃別の道を選んでいたら」
これは誰かのために俳優として奉仕する自分たちの心情を表しているのかな
そしてその舞台にされる古い廃業したデパートらしき建物 そこは台詞でホテルとして改装されるだったかなそんな台詞があった
今は誰かのために奉仕する仕事をしているけれども それは昔のこの背景の豪華なデパートを表していて でもそのデパートはもう廃墟で草も生えている有様ででもそれもホテルとして改装されるのならば別のものになれるのかもしれないね
このシーンは素直にオスカーたちの心情を映していると考えて間違いないと思う すぐに女はそのデパートを舞台に女優になるからね つかの間の本音を言えるシーンだったんだ
そしてその女優が心中したシーンを見たオスカー それは女優としての仕事だから本当に死んでいないのかもしれないけどオスカーはちょっと割り切れなかったみたいで叫んでリムジンに駆け込んだりする
最後にオスカーは猿が家族の家に戻ってそこで仕事は終わる
そしてリムジンはホーリーモーターズ社に戻りドライバーは仮面をつけて帰りリムジンたちは会話する
でもちょっと会話の内容は忘れちゃったな(;´Д`)
そういうギミックで自分の人生は自分だけのものじゃなくて誰かに切り売りしているものだっていう風刺ともとれるかな
それとも生きているってことは誰かの演技と自分の演技との芝居であるってことかもしれない
インターミッションでアコーディオンの楽団っぽいシーンが入ったのはオスカーの休息のために他の俳優たちが助演してくれていたのかな
序盤の全身タイツのシーンなんかは特に演技のための演技であってそこは誰のためでもない最も抽象的なシーンだしね ただ演技しているだけでカメラも存在しているのかどうか?そのイメージとして悪魔同士の交わりみたいなシーンも映し出されたり でもその場いくには楽屋も無かったりね ただ演技することだけが目的みたいだった
抽象的な映画なので楽しめたっていうより意味深な映画だったよ(;´Д`)
なので映画を楽しむと言うよりは絵画展に行ったみたいな感じだったかな

天使の分け前見てきた

クズな少年が人と出会って更生していく話なのかなあと思ってたんですけどどちらかって言うと俺にはトレインスポッティングでした(;´Д`)
舞台もそのままグラスゴーでしたしね トレインスポッティングから原作者のアービンウェルシュの小説をいくつか読んでるのですけど ああいうトレインスポッティングのような失業中で酒とドラッグまみれみたいな人たちが多くいるらしい的なことをアービンウェルシュは書いてるんですよ
たしか「グルー」って小説だったと思うんですけどトレインスポッティングよりはグルーに近いかな
この映画でも語られているんだけど別に個人がクズだからって言うよりも周りの人全員がクズっぽいみたいな 別にこれはグラスゴーだからって訳じゃなくて日本でもそうだと思うんだけど子供が生まれてその周りで喜んでるんだけどその周りにいる人たちが赤ん坊の前でタバコふかしながら酒飲んで騒いでるみたいな そういうのが割と普通なのかなとか
この天使の分け前では主人公のロビーが立ち直ろうとするのに周りの人たちが足を引っ張ってしまって結局抜け出せない
同じ更正仲間のモーだってさ コイツも泥棒が癖になっちゃってるんだよね こういう人たちと一緒にいることが奉仕活動としての更正活動としてどうなのかなとも まあアル中の俺が言うのもなんだけどさ
ネタバレだけど結局は非合法の泥棒でしか抜け出せなかったんだよね まあ一応叔父から金はやるからロンドンに行って女と別れろみたいな話はあるんだけどさ それしかないかもとはロビーは考えるんだけど結局はそれは違うんじゃないのと 俺はそういうのもアリだとは思うけどそう割り切れないよね
最終的には泥棒で一山当てて安心できる田舎の家と仕事と金を手に入れてハッピーエンドでね その辺はあんまりどろどろしてなくてスッキリと見れたと思うよ 
それにまあその辺の泥棒の話もあんまり悪いことしたんじゃなくて酒樽からちょっとかすめても天使の分け前ってことでいいだろ?的な話で罪悪感なく終わってるしね 
でもまあロビー以外の仲間はみんな適当に金使ってすぐに貧乏に戻るんだろうけどさ ロビーはテイスティングで生きていけそうだったけどあいつらなんにもなかったしな
その辺はある意味トレインスポッティングの金は独り占めで出し抜いてどこか別の世界にある世界で新しい生活を始めるんだって方が逆にスッキリしてるようにも思うね
でもまあ後味は悪くないしいい映画だったと思うよ
パンフレットも買おうかと思ったけど貧乏なのでやめておいた

2013年7月1日月曜日

映像温泉芸社上映会その20『芸社、バカ映画やめるってよ』見てきた

宇宙の先輩 接触編が面白かったのでそれだけでも行った価値はあったかなと思う
SF的なモチーフとかも散りばめられてて原発関連の話の突っ込みもあってなかなかおもしろい
全体的な統一感みたいのはないんだけど個別の話をそれぞれつなぎ合わせていったような話だったけど、宇宙船の設定とか怪獣との戦闘シーンとかもなかなか作り込みしてあってあんまり飽きさせずに最後まで楽しめた
クドリャフカが宇宙の先輩って設定もなかなかロマンを感じさせてくれてるしね
まあ藤井香織はずっとアシスタントであり突っ込み役なだけだったけどいないと話が進まないし
オチもちょっとアレレ?な感じだったけど無理に落とさなくてもそのまま続くでもよかったんじゃないかなと思った でも残念と言うよりそういうのもアリかなというところ
主役のクドリャフカのキャラデザインもいい感じでトゲがないデザインだし声も感じもキャラにぴったり NHKの教育番組に出てきそうなキャラでなかなかかわいい
子供の遊び友達な感じだね
笑わせてくれるのでいいんだけど正直これをテレビで見せられるとちょっと増長かもしれない 各カットが長めに作られてるのでTVゲームのムービーシーンをここちょっと早送りしたいのにって気にさせられるかもしれない こういうのは映画で見ないとそういう時間を他のことに気が散ってしまうので youtubeで見ても飽きちゃう可能性大
これは劇場で見れて楽しかった

そのほかでは「ササザさん」と「婦警ライダー」と「コミカ3分クッキング・国会中継のヒップホップ風」が面白かった
ササザさんはコレ別に弁士の人がその場で声当てなくてもいいんじゃないですかね 普通に面白いです
ちょっと元ネタ丸分かりなので商業作品には出来ないだろうけど別に自主制作ってカテゴリに入らないプロの作品って気がしました
ギャグなんでなんだかんだ言うより見たら面白いアニメでした
ただ古典の話があんまりおもしろく無かったのでなんでコレここでやってるの?とは思ったので坂本頼光さんは古典なんかやらずにどんどん新作作って欲しいと思います
古典見たときは最初はこの絵でわざわざアニメ作って弁士やってるの?なんで?って思ったので
それでコミカ3分クッキング・国会中継のヒップホップ風はこれはパフォーマンスですね
VJコミックカットさんの解説がないとおもしろく無かったと思います
youtubeで本編だけ見せられてもふーんで終わってしまう
ここからこの音ピックアップしてこうつなげてみましたってところまで見せてくれないと面白くもなんともないのでこういう機会に見れてとても楽しませてもらいました
婦警ライダーは伊勢田勝行って人が伊勢田勝行作ったアニメです
伊勢田勝行さんってぐぐってみたら有名な方なんですね 僕はちょっと知らなかったので新鮮な驚きでした
アニメと言うよりはマンガをそのまま撮影してつないでアニメにしてみましたみたいなアニメです
一応動画っぽいところもありますけどあんまりアニメしてないですよね
でも婦警さんの乱射シーンなんかはむしろアニメしてない方が迫力あるアニメになっててスゴくカッコイイ
伊勢田勝行さんってプロの漫画家じゃないみたいでりぼんにずっと投稿してるって話でしたけど話とかもちょっとタッチが古いだけでりぼんあたりで連載しててもなんにもおかしくないなと思いました 
岡田あーみんがOKだったんだから伊勢田勝行でも全然OKだと思いますけど ただちょっと漫画だけだとパンチが足りないのかもしれませんね 

いずれにしても1000円で5時間くらい楽しませてもらってお得でした
ただちょっと最後のMADはくどかったかな オープニングでああいうギャグやるのは場が暖まるからいいけどクドリャフカが良かったのでそのまま終わって欲しかった

牧野邦夫見てきた

牧野邦夫さんのことは正直よく知らなかったんだけどたまたまみかけたHPでの展覧会の絵を見て時間がありそうなので見にいった
牧野邦夫展
アル中の先輩でデザイナーの人も誘ったら来てくれることになったので一緒に見にいった
レンブラントに影響受けたって言ってるので西洋絵画的な絵を超絶技術力で描く画家なのかなと思ってたけどそれだけじゃなかった
もちろん超絶技術も持ってるんだけどそれ以外にも日本がの手法を取り入れたりしている意欲的な画家で作品としては現代的でおもしろかった
むしろ75年くらいから現代アートを描いていて今の画家の方が技術力が無い分だけ負けてるじゃんよ的な
朝日ジャーナルに掲載された自稿文1977.3.4
「僕は古い絵が好きだ。現代美術は僕の魂をゆすってくれない。昔の絵は技術が凄く深くて力強く、誰にもわかって面白い。今の絵は分からない絵が多くて、こちらが劣等感を感じてしまったり、分かる絵は技術が浅くてつまらないものが多い。だが、そんな今んの絵から、僕は昔の絵にない自由を教えられた。何をやってもいい、というデタラメのような自由と冒険の旅の精神だ。写実という古い技法を使って自分を表現したいという僕の仕事も、現代の自由と冒険の心に支えられている。それがなかったら、この孤独の作業はとても続けられないし生きれない。」
にすべてが凝縮されていますね。
俺と友人は順路を間違って先に年代順の絵を見ていって「未完成の塔」を最後に見たのも運が良かったかもしれない 順路が合ってたかもしれないけど
最初は60年代後半の階から見始めたので割と技術的に成熟してからの作品から見始めたので初期の頃からどんどんうまくなっていくねえ的な感想ではなくて、最初からこの人はスゲエ技術の人ってところから出発できた
なのでレンブラントあたりだと「光と影」と「手のデッサン(笑)」的なものを最初から期待していたとおりに楽しめた
ポスターでも手がそんなんになってて一緒に「やっぱ俺のテクニックスゲエだろ?的な絵がたっぷりだねえ」と話していた
この「静物」って絵なんか実際に糸を貼り付けた下に油絵で糸を描いていて「俺の絵って実物と見分けがつかないだろ?」的な絵に見えた
そういう遊び心あふれた作品のあとで「男児」とか
「キリシタンの死」みたいな大作で驚かせてくれました
下の絵なんて左が地獄絵図で右が屏風絵的な手法で地獄と仏の世界を描いています 割となんでもありです スゴイ しかし正当派西洋絵画!片方だけなら割とあるけど両方持ってるのは特別な存在ですね
なので代表作っぽい「武装する青年」なんて全然普通の絵に見えます(;´Д`)
武装する青年1972年
公式HPは代表作に掲載する作品を間違えています
そして「海と戦さ」
「インパール」
大判で絵物語を描いてくれます
「海と戦さ」は平家物語の壇ノ浦ですかね 平家物語が文字として書かれていたり洋画の肉体であったり日本画的な俯瞰図であったりです テクニカルなのにそれだけじゃなくて見てみておもしろい!ワクワクです
インパールは技術というよりもはだしのゲン的な死体描写の暗さと勇ましい兵隊の炎とのコントラストもいいですね
他にも大判の絵物語も多くて話の内容を知っていたらもっと楽しめただろうになあとちょっと残念なところも(;´Д`)
右の絵なんか金箔使ってその上に青と赤で斬って捨てた解剖図で日本刀ですよ!(;´Д`)西洋なのに日本画でシグルイ!ちょうカッコイイ

なので他に見た裸婦像などが売るための商業的な絵にしか見えなかったり(;´Д`)
雑草と小鳥1986年
このほかにも写実的で肌の質感とかスゲエんですよ(;´Д`)
60年代は西洋美術的な肌の感じをリアリティを持って攻めてくるんですけど
70年代に入ると今度は写真のフィルムを通したあとの青白い肌色!を表現してしまうと言う超絶技法で描いてくれます もう写真です もう写真を撮った方が早いんじゃないか?です というよりも80年代のヌード写真を先取りしすぎです まだ75年とかでそんなです むちゃくちゃうまいです 裸婦像なんかはあんまりテーマ的なものはないので技術だけで圧倒です でもそれだけなのがもったいないかなあ 裸婦像はスゴイのにスゴイだけと思わせてくれる多彩な作品群です
逆にいろいろ詰め込みすぎて訳が分からなくなってるモニュメント的な絵もいっぱいありました
「人」シリーズですね
聖書的?とも思ったんですけど果実ではないのでちょっと違いますね
オペラ的なものを狙撃手が狙ってる絵もあって本当はそっちの方が訳が分からないんですけど
複雑すぎて俺には個別に見ていくしかしかない(;´Д`)
背景に言えるところにまで書き込みがスゴイ もう力量に圧倒で何も出来ませんでした 完敗です(;´Д`)
「海と戦さ」的にスパっと切ってくれません 負けました
そして絶筆の「不思議な世界に住む絵描きとモデル」です
死んでも描き続けますという宣言です(;´Д`)
実は鳥の塗りなんかはもう絶筆なだけあってちょっと甘いんですけどこの人物の青白い肌(;´Д`) 死の肌色まで再現は譲らない!
そして閉館時間が迫ってきてしまって急いで下の階の若い頃の絵を見て「まあ若いねえ」と
最後に「未完成の塔」ですね(;´Д`)
牧野邦夫
コレ一番の目玉なのかもしれないけど一番最初に見せちゃダメですよ(;´Д`)
いやむしろ一番最初に見てももう一回見に戻ってきてくださいなのかな
ここに置いた絵も小さいんですけどそこに描かれてる人物も小さくてこの調子で最後まで描かれたらウォーリーを探せになってしまいます
地面が「生」で一階が「死」で2階が未完成の「地獄」でその先が未完成です
そしてその名の通りまだ未完成でサグラダファミリア的です
でもこの絵で完成してると思います
10年で一階を描くという話でしたけどもう地獄の先は見えないんじゃないでしょうか?
これ以上描いてしまうと作品の構図のバランスも悪くなってしまうし
それで絵から飛び出た塔の先ですね
未完成で見えないのに絵の外まで見えてしまうと言う二律背反もいいですね
最後に見て良かったと思いました(;´Д`)
牧野邦夫さんの人生の集大成的に見えました 
でもまあ俺の好みは絵物語が一番でしたね(;´Д`)
本当に見てるだけで楽しい わかりやすいです
湧き出るイメージが楽しい絵が好きだったりしますけどやっぱりおもしろいです
最後にデザイナーの人と一緒に行けて自分では気がつかなかったことを指摘してもらったり感想を話し合っていけてその話の中から見つかる発見があったりしてとても楽しかった
額縁の遊びとかはデザイナー的な視点もあって俺だけじゃわかりませんでした
会場に着いたの2:30だったけど閉館までの3時間半じゃ足りなかった
最後駆け足だったよ(;´Д`)
充実した時間を過ごせました
18:30に家について今まで図録見ててもう感想書いてもう23:30だよ
イニングイーターすぎる(;´Д`)
図録3300円と入館料500円で3800円でお買い得ですよ!


ドラゴンボールZ 神と神見てきた

ドラゴンボールなんだからやたら力を込めたセリフでかめはめ波とか光線技の応酬とかやるんだろうなと思って見にいったんだけど(;´Д`)
ドラゴンボールを見にいったはずがネコマジンを見せらるとは思わなかった
期待してた以上にというか違った方向で楽しめた 
フリーザ編あたりの熱血なノリというよりは初期のジャッキーチュンのあたりとか魔人ブウ編あたりのノリ
特に今回の映画ではベジータが遊ばれてておもしろい 全部この人が持って行ってしまった気がする そんなにブルマが好きだったのかと
それと懐かしいピラフ一味が子供の姿になって登場してて登場してる
マイなんか黒髪ロングで前髪パッツンでほとんどヒロイン扱いになってる
まさかマイで萌える日がくるとは思ってなかった(;´Д`)
アクションに関しても気合いの光線技使うんだろうなと思ってたけどほとんどが肉弾戦やってくれた 
それもドラゴンボールでのアクションで驚かされることなんかないだろうと思っていたんだけど背動とカメラワークで今までと
は違ったアクションシーンを見せてくれて新鮮な驚きだ 背動と言っても背景はCGだけどね
最近ではそういう動きを見せるのはキャラまでCGにしてしまっていてそんなの見せられてもおもしろくないんだよなと思うこともあったりするんだけどCG背動に手描きキャラ乗せることで新たなスケール感でアクションシーンを撮れるんだという驚きがあった
ただラストの戦いの終結についてはちょっと物足りなかったかなあ(;´Д`)
ギリギリまでやり尽くした感が無かったね まあそこまでやってしまうと作品が重くなりすぎちゃうのかもしれないけどちょっとスッキリしなかったな
今回も大泉学園のT-JOYでは設定資料集の展示がありました
最近東映のアニメはプリキュアばっかり見てた気がしたけどそういえばドラゴンボールも東映だったんだ(;´Д`) なんかすっかり忘れてた
ドラゴンボールの設定資料も展示してる
ベジータ
コンテもある

ジャンゴ見てきた

ジャンゴは非常にロジカルな映画でありつつもエンタテインメントとしても楽しめるおもしろい映画だった(;´Д`) そりゃアカデミー賞もとるよね
相変わらずバリバリネタバレするので見てない人は見てから読んでね
別に読まなくてもいいけどさ
俺は子供の頃はボードゲームをやる習慣がなかったんだけど大人になってからの友人に紹介されて時々ボードゲームをやるようになった
ドイツ産のゲームをいくつか、カタンとか有名なやつもあったりとかプエルトリコあんてゲームをやったりした
そのボードゲームの経験からいうと白人たちの子供たちはこういうボードゲームの元に社会のルールをうまく扱う教育をされているんだと思った。俺が今まで受けてきた教育では「従え」と「勉強しろ」という教育だけだったように思う。親からも学校からも含めてね
この映画ではそういう教育とルールとそして正義感が描かれている そしておまけとしてちょっとだけアクションがある 
アクションのところがやたらスカッとしてしまうのでそこが本編だと思ってる人もいるかもしれないけれどそれは違うね
ジャンゴはドクターシュルツに解放されて教育を受ける シュルツの教育と行動はルールに従って法律に従って自分の正義を実行しろだ
ジャンゴをつないでいる鎖を持った奴隷商人の兄弟はその法律に従ってシュルツに殺される 無法にシュルツに銃を向けたからだ 正当防衛だね ロジカルだ そしてシュルツは殺しつつもきちんとジャンゴの代金を支払う 法律だからね そうやってシュルツは自分自身が持っている正義感を執行する 賞金稼ぎを仕事にしてるけどこれも法律内のルール内の行動だよね 生死を問わず賞金首をつれてこいだからね
ジャンゴはまず教育を受ける
このへんはまゆおうでもやってたかな ただ鎖につながれた「無能な人」なだけのジャンゴがシュルツによって法律とルールを使いこなす「人」へと教育される
序盤のアクションでシュルツとジャンゴを襲うKKKっぽい人たちもロジカルに描かれる 表だっては理性にしたがっているジェントルマンな農場主の白人でもKKKの仮面を被ったら袋からろくに周りも見えないよってね こいつらを殺すのも正当防衛だからだね
それでちょっとジャンゴはお姫様のブルームヒルダを助けに行くジークフリードになれるんだよっていう物語のアウトラインが知らされる ここはちょっとロジカルじゃないよね お姫様を助けたいっていうのは理屈じゃないからね でもそれでいいんだ そういう話だから
シュルツによって教育されたジャンゴは銃も教わってまあ強くなる ジャンゴは最初は自分で着る服を選んでもいいという選択肢もなかった奴隷だったけどこの頃にはきちんと「人」になってるね
それで今度ジャンゴはヒルダ姫を助けに行く訳なんだけど、今度の敵は真っ当な悪役白人なんだ 悪人では無い本当にきちんとしたジェントルマン ちょっと奴隷同士を戦わせて楽しんだりそれで奴隷を殺しちゃったり拷問したりするけどこれは個人の趣味の問題で全く問題がない 個人の所有物である奴隷にしか手出ししないんだから
こうなってくるとシュルツは今までの方法では敵を倒せないんだよね この頃のジャンゴはまだ教育されただけのまだ「人」になっただけの人間だから真っ正面から取引しようとしてシュルツに止められたりもする この頃のジャンゴはまだルールっていう鎖に縛られているんだね そしてシュルツも だけどシュルツはルールを使いこなしているのでルール内で嘘をついて取引までたどりつく作戦を思いつく とてもロジカルだ それに最初に書いたボードゲームの話にもつながったね 白人ってこういうことなんだねって描かれる
そして今度はシュルツによってジャンゴが奴隷商人の振りをさせられる 
そして奴隷商人の訳を演じきれと
その途中でダルタニアンっていう逃げ出した奴隷が殺されるんだがこれをシュルツは許せない でも今度はジャンゴに止められるんだよね ジャンゴも本当は助けたいと思ってるんだけど奴隷商人の役だからね その止める声を断ち切ってダルタニアンを殺させるんだ ルールに従って行動してるからね ここで甘いところを見せてしまうとルール内での嘘がばれてしまうから でも見てる人には本当にこれでいいのかなっていう気持ちを起こさせる 非常にロジカルですね いままでのルールで処理できない正義感が芽生えてくるでしょう?
ここまでは正義感のロジカルな部分が説明されてる部分だね ちょっとだけアクションがあってスッキリしてた人もいるかもだけどここまでは前置き
今度はスティーブンっていう奴隷頭が本当の敵っていうことがわかってくる
表向きは白人にこびを売る振りをしてるけど本当はスティーブンが奴隷たちを支配してるんだね この辺はあまりロジカルではないけれども社会の階層を見せられる まあそれまでもジャンゴが「奴隷」から「貧乏な白人」くらいに階級アップしてきているのもかかれてるんだけどね 今度は下の方 奴隷頭をトップにして屋敷に入れる召使いの黒人とかもっと特権階級っぽいドレスを着て酒を飲んでる黒人もいる その下に屋敷に入れない肉体労働をさせられる奴隷たちもいる ヒルダは本当は奴隷の中でもちょっと上の方の階級で屋敷でメイドも出来る階級だったりもしたってことも描いてあるね ジャンゴは一番下の肉体労働だけの階級だったんだね
階級というのは割とロジカルかもしれないけど奴隷頭っていう「王」の封建制として描かれてる おもしろいのは黒人内でのルールはディカプリオの言葉で簡単に打ち破られてしまうところだね 白人内で管理された「王」として存在してるんだね 奴隷頭は
スティーブンはディカプリオにシュルツを密告して本当の目的はヒルダを取り返すことにあるって教える ここもこの映画のおもしろいところで黒人たちは自由意志で奴隷で居続けようとしてる訳じゃないっていうことと奴隷たちが自由意志で奴隷になっているっていうところを混在させているんだよね ロジカルじゃないね ルールと法律を持ってきて教育すれば奴隷は「人」にはなれるわけじゃないんだ これはディカプリオの台詞でもあるね 10000の1みたいなね 奴隷たちを鎖につないでるのは黒人たち自身でもあるんだね 奴隷の中でも特別な位置にある奴隷には奴隷って位置でも居心地が良いんだ 実はコイツ脚が悪い振りしてるけど実は脚が悪くなかったりするしな 脚が悪いっていうのは奴隷でいるっていう象徴として描いているのかな それとも白人たちと同席させてもらってるのに体まで同じだと白人と黒人が同列に扱われるってことへの配慮なのか? この配慮は白人に対してもだけど奴隷に対しても黒人は白人より下であるっていう意識付けにもなるしね 黒人はどんなに偉くなっても白人よりしたなんだと
スティーブンの密告によってシュルツはピンチ 銃を背に向けられて今度はヒルダを高額で売買するっていう契約書にサインさせられてしまう そして売買契約が成立する 
そしてディカプリオはシュルツに握手を求める だけどシュルツは握手したくない 売買契約も嘘をついてまでヒルダを取り戻す手伝いをしたことも白人のもつルールに従ってきたやり方だったから でもそのルールでシュルツは屈服させられてしまうんだけどこれがおもしろくない そのルールではシュルツの正義は執行されないからね 
シュルツの本当の気持ちは違うところにあったんだけど、その正義を執行するためにルールに従ってるだけだったんだね
今度のシュルツは自分の法律っていうルールを破って正義を持ってディカプリオを撃ち殺す
今度は白人側からのルールの執行だ 正当防衛だからね シュルツは撃ち殺されてジャンゴも自分を縛ってきたルールを打ち破って反撃する
この辺は爽快なアクション いままで貯めてきたものを全部出し切るくらいだったね
でもここではルールっていうジャンゴの鎖を解放したのはシュルツなんだよ
でも弾が尽きヒルダを人質に取られてジャンゴは降伏する 
降伏したあとのジャンゴはまた奴隷として売られる
そのあとのジャンゴは奴隷商人の白人たちを騙して自らを解放する
ここでやっとジャンゴの本当の鎖が解放されるんだ
自分で自分を解き放ち 法律に縛られずに敵を撃ち殺す
今度はルールなんてない 自らの信じる正義にだけに従って正義を執行するんだ 
ただちょっと出来が悪いところなのはシュルツが切ったアクションでの打ち合いでスッキリしちゃってるから最後の撃ち合いと屋敷の爆破のシーンの印象がちょっと薄くなってしまっていることかな

とてもロジカルな映画で結局は「正義のためならルールなんか関係ねえ!」っていうアクションをやるために最後までずっと理詰めできてるんだよね
とてもわかりやすい映画でした アクションシーンでスッキリもしたしね
あとパンフレットは買ってきたけどまだ読んでないので監督とかの言い分は俺が書いたのとは違うかもしれません(;´Д`)
これから暇なときにパンフは読むよ
4/10 追記 ジャンゴに銃の扱いを教えていて子供連れの賞金首を撃ち殺すシーン
ジャンゴはためらうけどシュルツは撃って良いという これはシュルツがルールの範囲内であったら躊躇する必要はないっていう意味だよね その白人たちのルールの扱い方に慣れろっていう意味でもある
あとシュルツが握手を拒否したって言うのは正義感とだけ書いたけどルールの範囲内ならなにをしてもいいか?ということへの拒否感でもあると思う ディカプリオと同じ仲間だろ?っていう同意に拒否したんだね 今までの我慢してきた部分のある自分へもの「我慢が出来なかった」