いつも通りバンバンネタバレしますが(;´Д`)
この映画は「好きなことだけやっていられたらいいよね(;´Д`)」って映画だと思いました
僕も好きなことだけやっていたいのでこの映画は好きな映画です
だけどこの映画はおもしろがりどころが無い映画だなあとも思いました
全体としてちょっとナレーションとか字幕とか入れれば格段にわかりやすくなるところをあえて入れていないので時間の経過がわかりづらいんですよね
変に話の途中に回顧を入れたりしていないので時系列通りに話は進むので混乱することはないんだけどとくに注釈も無く何年も過ぎてるのはスゴイと思いました
その辺は堀越二郎をある意味「夢の中の人」という風に描いているのでそういう現実にたち戻される瞬間をなくすためにわざとやったんだと思いますけどね
実際に客観的な風景描写以外では現実と向き合わせてくれるキャラクターが妹の加代しかいなかったし(;´Д`)
子供の頃から飛行機のことばっか夢見てきてそれだけ考えていられたらいいよね(;´Д`) あとは適当に社会人っぽいことだけしておいて回りからとりあえず取り繕っておけばいいし
なので堀越二郎はあんまり社会人としてきちんとしてません
同僚の本庄はきちんと結婚して家庭をもっているのにフラフラと下宿暮らししていたりね
その本庄にもお菓子の「シベリア」のシーンで結婚と安定と変わっていくことアンビバレンツ的なことも言ってたし(この辺はもう一回見て台詞とかはっきりさせたい)
というあたり本庄を堀越に性格的に近い人物と描きつつも本庄は現実的って描き方します
現実的ってところは本庄が輸送機、爆撃機を担当するってあたりにも臭わされてます このあたりは堀越が自主的に選んだというわけではないけれど堀越は社会に役立つものを作りたいんじゃなくてあくまで夢あるスゴイ飛行機を作りたいんだってことで対比する存在になってます
そんな実用第一の飛行機なんて俺の作りたい飛行機じゃねえんだよ!
まあ技術的にスゲエところは俺の飛行機にも取り入れるけどな!
まあ堀越はそういう強い台詞を吐くキャラじゃないですけど監督はそう言ってるみたいです
それに堀越は飛行機のことだけ考えていたいので他人との関わり方も適当です
いま買ってきたばかりのお菓子のシベリアをその辺の子供に分け与えようとしたりします
子供はお菓子をもらわずに立ち去るんですがこのいい加減なところを堀越に説教されたりします
というかヒロインの菜穂子に対してもこの態度なのでなかなか笑わせてくれます
軽井沢で再開してからの雨の中のシーン 二人はこれで親密になっていくっていうところでも大震災でおキヌを助けた時から堀越は「白馬の王子様だったのよ」っていうのに対して「ずいぶん雨漏りしますね」ってさ(;´Д`)
でもまあこれは二重に意味を取れるようになっていて堀越がここまで俺が書いてきたように「適当に生きてる」っていうように取るか「照れ隠し」って取るかどっちでも取れるようになってるんですけどね(;´Д`)
でもこの辺は照れ隠しって取れるように宮崎駿がアリバイ作りしたんだと思います
こういうアリバイ作りは風と帽子の話でも作ってます
堀越が菜穂子に好きだって言うところなんですけど「風と帽子が運んできてくれたときから好きでした」だったかな(;´Д`)そんな台詞
大震災のときの汽車の時の帽子の話か軽井沢に来てから飛んできた帽子の話かどちらかよくわからないようにしています
つまり「昔からずっと好きだった」か「軽井沢に来てから好きになった」かよくわかりません
しかも軽井沢に来てから大震災の時の菜穂子だってわかった時に「あああの時の」なんて台詞を言わせています
なのでこれは適当派ならその場の思いつきの台詞で今好きになったって解釈出来るし人生の中の思い出の恋愛なら昔からずっと好きだったけど純朴でずっと気持ちを表に出来なかったですね
でもやっぱり妹の加代が医者になったってのを加代が訪ねてきて初めて知ったってあたりで適当描写のアリバイって線が強いですね
それにそういういい加減な話にしてしまうと一般の客が引いてしまうし(;´Д`)
でないと菜穂子があまりにもかわいそうなヒロインすぎるから菜穂子に感情移入出来る余地を残しておかないとね
本当は堀越は飛行機のことだけ考えて仕事していたいけど世間体もあるしちょっとの余暇に恋してみただけで本当は飛行機の方が大事ってことをおおっぴらに言ってしまうとジブリ映画としてちょっとマズイし
俺は結婚っていう責任は負いたくないんだけど時々は女を好きになったりもするんだよ!
まあ仕事の息抜きでだけ自分がやりたいときだけ相手にするだけだけどな!
なんで二重解釈できることにして昔からの恋愛話にしておいてます
なので病気で寝込んでる横で仕事していても
仕事で忙しいのに手を握っていてくれていいて堀越はずっと菜穂子を愛していてくれていたっていうアリバイですね
本当はとりあえず手は握っているけど両手で仕事した方がはかどるのになあ
それにこの結婚も割と思いつきで「シベリア」をあげようとしていた子供たちに対する思いつきとも取れるようになってます
その場の思いつきで世間に対する「いいこと」もしたいキャラクターですってね
堀越は菜穂子に対して正直なんにもしてやってないので(;´Д`) 目の前で起こってる不幸に対して手をさしのべてるだけです
シベリアをあげるのと菜穂子に対する優しさが同レベルで語られています
堀越は菜穂子が病院に入るのを手助けしたりしたわけでも無くてほぼ放置で行き当たりばったりだもんなあ(;´Д`)
血を吐いたっていう電報の時にちょっと日帰りで見舞いにいっただけだしね
好意的に解釈すればスゴク忙しい中でも菜穂子のことを見舞いに行ったって話とも取れるけどね
あとはまあカプローニがもっと夢の中の世界で、現実は夢の中の世界じゃないけど夢のうつつの状態にしておきたいって感じで、加代みたいに現実に引き戻そうとする勢力は適当にあしらっておけばいいやみたいな世界観が最高でした(;´Д`)
堀越は一応そうするしか無いので戦闘機作ってたけど本当は機関銃も乗せない方がもっと飛行機なのになあって思っていて夢なかばだし
たしか設計段階で270キロとか言ってたのに試験飛行で240キロだったし
「生きねば」ってキャッチコピーは本当はやりたいことは違うんだけどわがままばっかり言ってるだけじゃ生きていけないから言い訳程度に社会活動もしておこう めんどくさいなあってことですね(;´Д`)
今はこんなことしてるけど本当にやりたいことは違うんだよっていうわがままとも取れる映画だと思いました
ただちょっとエンタテイメント性が薄いのでおもしろい楽しませてくれる映画を見たい人には退屈な映画だと思いました